あけましておめでとうございます。
今年は、年初から寒波が到来していますね。
年初から、喜界島の成人式に出席してきました。
喜界島の成人式は1月2日です。なぜ三が日にするかというと、離島のため内地に行っている子供達が故郷喜界島に帰ってくるタイミングでしているということです。
私の子供は成人式はまだまだ先ですが、新成人に贈る言葉をお伝えすることの役を
いただき、お話しさせていただきました。
お話しした内容は、二つ「シ」です。
一つは「志」そしてもう一つは「死」です。お祝いの席に「死」についてお話しするのはどうかと思いましたが、多分人生で最初で最後(青年代表として話しましたがもうすぐ青年ではなくなる年なので、、、、、笑)だと思いましたので、話したいことを話そうと思い、大事に思っていることをお話ししました。
「志」言わずもがな、こころざしです。
仕事というものが、志事になったらどんなに楽しいだろうか、、、ということをお話しさせていただきました。仕事の仕というのは仕えるなど、人につきしたがって働くなどをさします。
かたや私が呼ぶ志事は、志す事です。「志」というのは心の目指すところという意味もあるように、人生において自分が何を目指したいのかということに尽きるのだと思います。
日々の仕事でしていることについて、仕事が「仕」事になるのか「志」になるのかで、人生の時間の密度がだいぶ変わると思います。時間というものは人生そのものですから、人生の密度が変わると行っていいかもしれません。
いきなり志事と言われてもピンとこないかもしれませんが、
手っ取り早く理解できるのが、「死」だと思っています。
人生には必ず初まりがあれば終わりがある。これは真実です。
この真実は意外と意識しない人がほとんどだと思います。日常に日々追われ、見えなくさせてしまっているかもしれません。
しかし、ふとした瞬間に考えるのはとてもいいことだと思います。
「生」についてはよく考えるのに、「死」については真剣に考える機会がないのが大概だと思います。でもそれも自然です。人間常に死を考えて生きれるようにはできていないのです。
愛していた人でも、親しい友人でも、家族でも、死んでしまった後に周りの人がいつまでもそれを悲しんで行くことはできないからです。
そう考えると
・人は必ず死ぬ
・人はいつ死ぬかわからない
・人生は一回きり
という事が見えてきます。この真実を理解するのにそう難しくはないと思います。
そのことを日常に当てはめると、愛する家族、友人、お世話になった人に対して、何かある際に本当に優しくなりたり、守るために強くなれたり、感謝の気持ちを伝えられたりするんだと思います。
目の前の大切な人に対して、つい辛く当たってしまったその日に、その人が亡くなってしまったら、自分は何て思うだろうと深く考えた時に、自分を見失わないで本当の気持ちを伝えれるのだと思います。
真剣に生きるということは、真剣に死を考えるということにつながって行く。
まさに、「生と死はコインの表と裏」に当たると思っています。
そんなことを改めて考えさせられた、成人式でのお役を預かって大変いい機会でした。
皆さんの死生観はどのようなものですか?
2018年も何卒よろしくお願い申し上げます。